
この記事では、僕が対人恐怖症に悩んでいた過去を紹介します。
この記事を見ることで、同じ悩みをもっている方が自分だけではないんだと思ってくれたらうれしいです。
Contents
対人関係がうまくいかなくなった初めのきっかけ
僕の子ども時代に話はさかのぼります。
小学校の途中くらいまで、対人関係に恐怖や不安を感じたことはありませんでした。
少ないながらも友達はいましたし、授業でもふつうに発言できていました。
僕が対人関係に問題を抱えだしたのは、小学校高学年の時でした。
何があったかというと、転校です。
うちは長らく東京近郊に住んでいましたが、親の転勤で突然地方に移ることになりました。
転校先の学校。そこでぶつかった壁が、言葉(=方言)です。
会話の中で聞き取れない・意味の分からない言葉があることに気づきます。
さらに、同じ言葉でも標準語と意味が違う言葉もありました。
このため、会話がかみ合わず、少しずつ自分から他者を避けるようになっていきました。
また、転校生という存在は地方では珍しく、校内の他の児童から注目されたことも、他者の目を気にするきっかけとなったように思います。
中学校① 笑えなくなった・雑談が苦痛になってきた
中学校に入ると、具体的な症状が出てきます。
このころはまだ友達がいました。なんとなく自分と同じようなおとなしめの生徒たちが集まったグループで、それなりに過ごしていました。
ただ、ある日人前でなぜか笑えなくなっている自分に気づいたのです。
笑えなくなった正確な原因は今でもわかりません。
また、だんだんと雑談をすることが苦痛になりました。
当時はまだインターネットがこの世に登場したばかり。同級生の話題はテレビドラマの話が中心であり、テレビ番組に興味が無かった自分は話題が合わなくて少しずつ孤立していきました。
今思えば、話題を合わせるためにテレビを見るようにしたらよかったのかもしれませんね。
ただ、ぼくは表面上はおとなしいのですが、内面は強情なところがあって、見たくもないテレビ番組なんて絶対見るもんか!・・・という強い意志?があり、話題を合わせるためにテレビを見ようということはしませんでした。
ぼくは徐々に孤立していくのですが、このころは群れたくないというような気持ちの方が強く、休み時間は図書館に行ったり、廊下をぶらぶら歩いたり、むしろ孤独を自分なりに楽しんでいました。
中学校② 家と学校での振る舞いに差が出てくる
中学校生活の後半だったと思います。
いつの間にか家庭での自分と、学校での自分に大きな差が出てくるようになっていました。
よくしゃべり笑ってばかりの自分と、一人静かに過ごして決して笑わない自分。
まるで別人のようでした。
このような「自分の使いわけ」に、はじめて気づいたのは家族で買い物に行ったときでした。
ぼくの家は家族仲が良く、家族そろって頻繁に旅行や買い物に出かけていました。(一緒に行く友達がいなかったためでもありますが・・)
ある日、行き先のスーパーで、いつも通り母や弟と楽しく話しながら買い物をしていると、クラスメイトとばったり出会ったのです。
その時、浮かんだ感情は、「笑顔を見られたくない・大きい声を出しているのを聞かれたくない」でした。
笑うことを止め、声を小さくし、同級生とすれ違ってやり過ごす中で、逃げ出したい!という気持ちが爆発しました。
恥ずかしい、なんて生やさしい感情ではありません。本当の自分を知られてしまう恐怖、と言ったらよいのでしょうか。うまく言葉で説明することは難しいのですが、同じ体験をした方にはわかってもらえると思います。
この感情・家族と話している姿を誰かに見られる恐怖は、地元を離れる23歳ごろまで続きました。
高校生① 自分から話しかけることができなくなる
高校に進学するとき、ぼくはある決意をしました。
上記の、家庭と学校でのギャップの苦しみをもう味わいたくないと思い、学校でも家と同じよく話し、よく笑うキャラクターを出そうと決心しました。同じ中学出身でぼくのことを知っている人は高校にいなかったため、人間関係をリセットできる!!と思ったのです。
高校デビューってやつですね。当時はそんな言葉も知りませんでしたが。
しかし、これは大失敗に終わりました。よく話すどころか自分から話しかけることができないことに気づいたのです。
中学校時代に友達と関わることを避け続けていたためか、会話の始め方がわからず、また、皆が好みそうな話題もわかりませんでした。クラスメイトからは無口な人という印象を持たれ、徐々にできていくクラス内のグループへ参加することもできず、孤立した存在になってしまいました。
高校生② まったく話せなくなる(場面緘黙)
緘黙、という言葉を知っているでしょうか。かんもく、と読みます。
国語辞典には、「口を閉じて、しゃべらないこと。おしだまること。だんまり。無言。」とあります。
場面緘黙という言葉もあり、ある場面(例えば家庭)によってはふつうにしゃべれるが、別の場面(学校など)では緘黙状態になってしまう症状のことをいいます。
高校1年生の夏ごろには、ぼくはそのような状態になっていました。家では普通にしゃべれて、教室では無言で一日過ごす日々になりました。
・・・・・。
先に述べたように、中学生のころからそのような傾向はあったのですが、高校生になった時との違いは、それを強烈に辛いと感じるようになったことです。
周りの皆が楽しそうに話している様子を見るととても苦しい気持ちになりました。
話したいのに話せない、という苦しみは経験した人にしかわからないのかもしれません。
この、場面緘黙という言葉、もっと多くの人に知ってほしいと思っていて、また別の機会に記事にしようと思います。
高校生③ 場面緘黙で辛かった体験
場面緘黙で辛かった具体的な体験を挙げておこうと思います。
・授業で当てられてやむを得ず小さな声で答えた時の皆の注目の視線。
・昼食タイム。弁当持参で教室で食べるスタイルのぼくの高校では、机やいすを動かし、仲の良いグループで固まって食べている人がほとんどの中、一人で黙って食べていた。
・クラスである芸能人について好きか嫌いかの話題で盛り上がっているときに、「○○(自分の名前)、お前は好きだよな?うなずけよ!」と言われて別に好きでもなかったけど仕方なく首を縦に振った
・突然話しかけられて固まっていると、「返事がない。ただのしかばねのようだ」と当時はやっていたゲーム中のセリフを言われ、周りが爆笑。
・運動部に入ったが、うまくコミュニケーションできずに辞めようと思ったが、どうしても言い出せなくて置手紙で退部した。(これは辛かった体験というより迷惑をかけた話ですね(-_-;))
何度も何度も話そうと決意するけれど、緊張して、のどが渇いて、顔が赤くなって、うつむいた顔を上に向けるのさえ怖くて、結局話せないままで、帰宅の電車の中で今日も話せなかったと自分を責める。そんな毎日でした。
高校生④ 話しかけてくれる人が現れた(場面緘黙からの脱出)
場面緘黙の状態になってから約一年後、クラスメイトのひとりがぼくに話しかけてくれるようになりました。
話しかけてくれるようになった理由はいまだにわかりません。
ぼくは自分からは話しかけられないけど、話しかけられたら答えることはなんとかできました。
はじめは授業の内容についての質問を1日2・3回聞かれ、答えるだけだったと思います。
でもそれが本当にうれしかった。何を話したかは覚えていないけど、うれしい感情だけは強烈に残っています。
そのうち、弁当を一緒に食べるようになりました。2年生の終わりか、3年生の初めだった気がします。
高校に入ってはじめて、誰かと一緒に食事をとることができたのです。
当時ぼくに声をかけてくれた彼にはただただ感謝です。
もし彼がいなかったら。ぼくはいまだに家族以外と話せないままだったのかもしれません。
・・・
以上、ぼくの対人恐怖症に悩んでいた過去をお話ししました。
上記の友達のおかげで、高校を卒業するころには対人恐怖症の症状がだいぶ軽くなっていました。
本当に友人には感謝です。
さて、高校を卒業したぼくは人間関係が怖くなくなり順調な生活を送れたかというと・・・実はそうではありませんでした。
対人恐怖が薄れても、今度は人との自然なつきあい方がわからず痛い目を見る日々、「コミュ障」に悩む日々が10年以上続いたのです。
それは、また別の機会に。
ここまでご覧いただいたみなさん。ありがとうございました。
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