
ぼく自身が対人恐怖症に悩んだ過去を紹介します。
※この記事は、対人恐怖症に悩んだ過去①の続きです。①はこちらから→https://junya03.xsrv.jp/2020/06/08/taijin/
①では、対人不安が高まっていったきっかけと、対人恐怖症がひどくなった高校生の頃の話を中心にお伝えしました。
②では、高校卒業~大学、そして社会人になり数年間に何を体験したかお伝えしたいと思います。
正直にいって思い出したくない過去ですし、公開することに抵抗がないわけではありませんが、ぼくのブログを読んでくれるみなさんにとって何かの参考・ヒントになるかもしれないと思い、書くことにしました。
(ここから本編)
さて、高校でとうとう誰とも話せなくなってしまったぼくですが、1人のクラスメイトが話しかけてくれるようになり、それをきっかけに、「話しかけてくれたら何とか答えられる」状態にまで良くなることができました。
その後、少しだけ心が楽になった自分は大学進学を決意して、地元の大学に進学しました。
Contents
大学入学のオリエンテーションで誰とも話せない自分に衝撃を受ける
高校の時ぼくに話してくれた友達は別の大学に行ってしまったので、ぼくは自分に話しかけてくれる人を失い1人になりました。
入学日、1人で行った大学のオリエンテーション(入学後の学生向け説明会)では、大教室に集まった新入生たちがお互いに自己紹介をしていました。
ぼくは、そこでまったく自分から話しかけることができなかったのです。
やっぱり人が怖い。
良くなったと思っていた対人恐怖症がまだ続いていたのだと思い知り、ショックを受けました。
そのまま1ヶ月ほどなんとか講義には参加していましたが、ほとんど誰とも話さない日々が続きました。
無理やり自分から話しかけることを決意
ぼくはこのままだとダメだと思い、なんとか対人恐怖を治したいと思いました。
しかしどう治したら良いのか何もわかっていませんでした。
対人恐怖という言葉も知りませんでしたし、ネットで悩みについて調べる、なんてこともまだ一般的ではない時代でした。
本なら探せばあったかもしれませんが、当時は思いつきませんでした、、、💦
唯一思いついた方法は、勇気を出して人に話しかけ続ければ治るんじゃないかという方法でした。(注:良くない方法です)
そこでぼくは、通学途中の子どもにおはよう、と言ってみたり、学生食堂の入口で一緒にごはん食べませんか?と話しかけたりしました。
今思い返してみると、かなりの不審者だったと思います。
この試みはうまくいきませんでした。いきなり話しかけても返事をしてくれない人がほとんどでした。
当たり前の話ですが突然、話しかけられてフレンドリーに返す人なんていないでしょう。
しかし、当時の僕はそんな事はわかっていないので、一生懸命話しかけたのに誰も反応してくれない、やっぱり、僕は、コミュニケーションがうまくできない人間なんだ、そんなふうに考えていました。
勇気を出して入ったサークルで温かく迎えられ、調子に乗る
うまく人間関係を築くことができない。自分に焦ること数ヶ月、ぼくは勇気を出してあるサークルに入ってみました。
そこは、地域の子供たちの放課後の活動をサポートするボランティアサークルのようなところでした。
ボランティアサークルというだけあって、そこにいた先輩たちはとても優しい方ばかりで、話すのが苦手な僕に対しても優しく接してくれました。
僕はとても安心して、少しずつ自分から話しかけることができるようになってきました。
今振り返ると、この恵まれた環境で、今まで身に付けることができなかったコミニケーション力をつけ良い人間関係を築く練習をすべきでした。
しかし、当時の僕はそう考える事はありませんでした。
自分の下手な話も、拙い説明も、全部聞いてくれる人たちにすっかり安心したぼくは、自分の話したいことをひたすら話す人間になっていきました。
相手の気持ちなど、全く考えずに。
そうです。ぼくは大学を卒業するまで、話すときに相手の気持ちを考えるということを全くしなかったのです。
これに気づいたのは社会人になってしばらく経ってからでした、、、
次にその話をしようと思いますが、社会人編に行く前に、ひとつやって良かったことも紹介したいと思います。
やって良かったこと→コンビニのアルバイト
ぼくは大学生の頃2年ほどコンビニのアルバイトをしました。
これも自分なりに考えた対人恐怖症の克服方法の1つです。
僕は、接客の仕事を無理矢理すれば、人に慣れることができ、対人恐怖症が治るのではないかと思いました。
なので、ファミレスなど接客系のアルバイトに応募してみましたが、人が怖くておどおどしている僕を雇ってくれるところはなかなかなく、20社以上面接で落とされたことを覚えています。
やっと受かったのがコンビニのアルバイトでした。
そこは、新規開店の店でとても忙しく、ただひたすらレジを繰り返すような仕事でした。
でも、それが当時の僕にとって救いでした。
と言うのも、忙し過ぎて周りのスタッフと話している時間がなかったので、自分の苦手な雑談をしなくて良いという状況だったからです。
また、オープニングだったので、店長以外に先輩、後輩などの上下関係がなく、目上の人との関係が苦手な自分にはありがたい場所でした。
コンビニのアルバイトをして良かったのが、人前である程度の声を出すことができるようになったことです。
対人恐怖症の方なら共感してくれる方が多いと思いますが、自分の声を誰かが聞いていると思うと、聞かれたくないと言う気持ちが出てくると思います。
特に怖いのは、皆の前で意見を発表するときや、雑談で何か聞かれる時など、自分の考えた言葉で話さなければならない時です。
その反面、決まったセリフを言うだけの場面は、前者と比べると恐怖感が少なくなるという方が多いです。たとえば、雑談は怖くて無理だけれど、買い物は行けると言う方がいます。
これは、雑談よりも、買い物の方が決まった言葉(例→これください、など)を使うことが多いため、
雑談のときのような、
「変なことを言って嫌われたらどうしよう」
「うまく答えられずに笑われたらどうしよう」
などの心配が少ないため
です。
コンビニのアルバイトは、ほぼ決まったセリフしか使いません。
なので、もちろんはじめは抵抗がありましたが、だんだんと声を出すことができるようになってきました。
ただ、会話をしているわけではないので、コミュニケーション力がついたかと言われると微妙ですが・・・
ともかく、学生時代にやって唯一良かったということはこれです。
(※周りの人との関係によっては、対人恐怖が逆に悪化する場合もあります。)
卒業後、料理の世界へ進む
細かい経緯は省きますが、僕は、大学を卒業した後、料理の道へ進むことにしました。
理由は、料理が好きだったことももちろんありますが、学生の間にいろいろなことを経験した中で、
やはり人と接するような仕事は自分には向いていないと考え、
料理の世界ならば、厨房にこもったままで、あまり多くの人とへ接する必要がないのではないかと考えたからです。
僕は地元を離れ、県外で一人暮らしを始め、あるホテルの厨房に就職しました。
会社の人間関係に失敗して対人恐怖症が復活する
僕は、ホテルの厨房で働き始めましたが、1ヵ月もたたないうちに人間関係づくりに失敗します。
これにはいくつかの原因がありました。
1つは、仕事と言うものを甘く見ていたこと。
お客様のために、早く正確な仕事ができるように努力するという意識が欠けていて、マイペースで仕事をしてしまっていました。
2つ目は、自分が就職した職場では、大卒で入る人が珍しく、その結果年下の先輩が多くて、付き合い方がわからなかったこと。
3つ目は、今まで誰かと話をするときに、相手の都合や気持ちを考える習慣がついていなかったので、自分の勝手なタイミングで場違いな質問をしたりして、すれ違いが続き、コミュニケーションがうまくいかなかったこと。
4つ目は単純に自分が不器用で失敗ばかりしていたこと。
今思い返せば、これらの理由が原因の一部だったとわかりますが、当時の僕はなぜ嫌われていくのかわかりませんでした。
僕はだんだんと先輩や上司と関係が悪くなり、質問することや、挨拶をすることも怖くなってきました。
うまく仕事ができない僕に対して、フォローしてくれる先輩もいましたが、罵倒したり、蹴りを入れる先輩もいました。
当時は、パワハラやブラックなどの言葉もありませんでしたし、上司に訴える勇気もなかった僕は、ただひたすら耐える日々を送っていました。
蹴られた体があざだらけになる頃、気がつけば対人恐怖症が復活していました。
具体的な症状としては、
先輩の目を見ることができない
声が震える
手足が震える
過呼吸になる
最終的には、職場に出勤した途端に体を動かしにくくなり、まともに歩くことができなくなる
といった症状が出ました。
この時初めて精神科にもいきましたが、うつ傾向があり要経過観察・できれば仕事を辞めた方がいいと言われましたが経済的に余裕がなく辞めることはできず、それから病院に行くことはありませんでした。
その後しばらく仕事を頑張っていましたが、出勤してもまともに仕事をすることができず、会社に行くこと自体が怖くなってしまい、無断欠勤をして遠くの町までお金が尽きるまで逃亡するという奇行をしてしまいます。
その後、会社との話し合いの結果、暴力をふるっていた先輩に指導が入り、仕事に戻ることになりますが、対人恐怖は収まらず、もう一度無断欠勤をしてしまい、辞めることになります。
学生時代に先輩の優しさに甘えていたことにようやく気づく
次は食品工場で働くのですが、その際に同じ間違いを繰り返したくないから、人間関係について勉強しないといけないと考えました。
そこで、コミュニケーションについての本を大量に読んだり、会話術の講演会のCDを借りて聞いたりしました。
その中で、中谷彰宏さんという方の音声CDで、社内の社交術のような内容がありました。
その中で、「飲み会では、いま真面目モードか、笑い話モードか考えながら自分の振る舞いを調整する」といったような内容がありました。
飲み会で偉い人がまじめに話をしているときは真剣に聞く、バカ騒ぎをしているようなときは自分もすこしくだけた感じで周りの人と話しましょうといった内容です。
この内容は飲み会のコツを知る以上にぼくにとって大きな意味がありました。
この一文で、ぼくはやっと自分が今までやってこなかったことに気づくことができたのです。
それは、「相手が今何を感じているか・考えているかを想像する」ということです。
ぼくは今までの人生でそれをしたことが無かったということにはじめて気づいたのです。
子どもの頃はそんなことは思いつきませんでした。
中高生の頃はただひたすら人が怖かっただけでした。
大学生になったら、たまたまとても優しい人たちが周りにいてくれたので、好意に甘えて好き勝手に話していました。
そして社会人になって、何もかもうまくいかなくなりました。
うまくいかなくなった原因のひとつは、他人の気持ちを想像するということができていなかったためだったのです。
今思えば、人生最大の転機はこのことに気づいた瞬間でした。
ぼくはここから、他人の気持ちを知るにはどうしたら良いのか、自分はどんな心構えでいればいいのか、ありとあらゆる本を読み漁り、練習することで、急速に対人恐怖症の症状が消えていきました。
「人の気持ちを想像すればうまくいくかも」という希望が自分に勇気を与えてくれたからでした。
ぼくにとってはこのことが対人恐怖症から脱出する大きなきっかけでした。
同じ言葉が、他の人には脱出のきっかけになるとは限りません。
ただ、誰もが克服の努力・勉強を続けていけばどこかで何かにハッと気づく瞬間に出会うことができ、それが克服の大きな転換点になるとぼくは信じています。
そのきっかけを作りたいと願い、ぼくはこうして情報発信を続けています。
その後
さて、その後すぐに人間関係がうまくいったかというとそんなことは無く、失敗を重ねます。
ただ、もう人が怖いという感覚はほとんどなくなっていて、今までの人生で足りていなかった人間関係の経験を埋めるかのように積極的に関わっていけるようになりました。
怖くて前に進めない状態から、スタートできる状態になったのです。
ここから人と接することが楽しくなるまでには数年の時間がかかったのですが、その話はどちらかというと「対人恐怖症克服」ではなく「コミュ障克服」の話になるので、今回はここまでとさせていただきます。
リクエストがあれば、「コミュ障克服」の話もいつか書いてみようと思います。
ここまで長文を読んでくれた方、本当にありがとうございます。
あなたの対人恐怖症克服に少しでもこの記事が役に立ちますように・・・